ゲーム取扱説明書の歴史 第2回〜ハード戦国時代の取説〜

紙のお仕事,業界裏話
2018.02.14

 「ゲーム取扱説明書の歴史」、その第1回は「黎明期の取説」と題し、ファミリーコンピュータのディスクシステムが登場した1986年までをご紹介しましたが、家庭用ゲーム機はこの頃から激動のゲーム機戦国時代へと突入します。
 そのなかでゲームの取説はどのように進化していったのでしょう。

ハード戦国時代の幕開け

 ファミリーコンピュータにディスクシステムが登場して、任天堂は家庭用テレビゲームでの地位を盤石なものにし始めますが、他のゲームメーカーも黙ってこれを見ていたわけでありません。翌1987年にはNEC HE(ホームエレクトロニクス)が「PCエンジン」を、さらに翌1988年にはセガ・エンタープライゼス(現セガゲームス)が「メガドライブ」を発売します。

 ゲームの規格が変われば、もちろん取説の規格も変わります。といっても取説の場合はサイズが異なるぐらいで、取説の内容そのものが大きく変わることはありませんでした。
 唯一、取説の制作に大きな影響があったのはPCエンジンでしょう。こちらはカートリッジが小さなロムに変わったことで、パッケージがCDケース状のものとなったのですが、その影響でページ数に上限が設けられたのです。
 ご存知のようにCDケースのフタの裏には、歌詞カードを挟む込む“爪”がついていますが、この幅が狭いため、取説のページ数に上限が設定されたのです(確か32ページでした)。どうしても必要な場合は特別なケースを使うこともできたのですが、コストの面で採用するメーカーは少なかったと思います。
 そもそも、その頃はゲームのシステムも今ほど複雑ではなく、ページ数の多い取説があまり必要なかったのですが、その後、同じタイプのパッケージで登場した「プレイステーション」や「セガサターン」の時代になってゲームの質量ともに向上すると、いかにページ数をコンパクトにまとめるかで苦労することになります。といっても当時は知るよしもありませんでしたが(笑)。

さらに混沌の時代へ

 1980年代後半は3種類のハードがしのぎを削る時代ですが、ファミリーコンピュータを擁する任天堂の優勢は変わらず。ここでNEC HEはさらに猛追をかけるべく、「CDロムロム」「PCエンジンコアグラフィックス」「PCエンジンスーパーグラフィックス」などの拡張システムや上位機種などを次々と発売し、その性能差をアピールしていきます。
 一方で携帯型ゲーム機が初登場したのもこの頃で、任天堂からは「ゲームボーイ」、アタリからは「LYNX」(日本での発売元はムーミン社)が発売されました。PCエンジンやメガドライブが高画質で勝負してくるなか、当時モノクロ画面で登場したゲームボーイにがっかりした人も多かったようですが、その後のブームは皆さんごぞんじのとおりです。
 そして1990年。任天堂から満を持して「スーパーファミコン」が発売されます。
 後発機に性能では不利な状態だったファミコンですが、スーパーファミコンではその差を一気に埋め、しかも豊富なソフトのラインナップで瞬く間にハード競争の主役に躍り出ました。
 もちろん他のメーカーも負けてはいません。NEC HEからは「PCエンジンGT」や「PCエンジンDUO」「スーパーCDロムロム」などなど、セガ・エンタープライゼスからはメガドライブの拡張ユニットである「メガCD」、さらには携帯ゲーム機の「ゲームギア」も発売。ここにビクターやパイオニアといった音響機器メーカーも参入したりと、ここではすべて紹介しきれないほど多くのハードや関連機器が登場して、まさにカオス状態となっていきます。

取説の重厚長大化

 さて、そんな時期の取説がどうだったかといいますと、こちらも質量ともにどんどん膨れあがっていきます。
ゲーム取説に必要なものは、何といっても操作説明や画面の見方。これにゲームの目的と概要が加われば、最低限の役目を果たすことができます。しかし、ゲーム機の発達によってゲームソフトの品質やボリュームも向上すると、「できるだけ操作も詳しく伝えたい」「世界観も伝えたい」という流れが生まれます。
 キャラクター紹介やストーリーにふんだんにページを割いたり、アイテムや魔法などの詳しいリストが収録されたり……。さらには敵の行動パターンやステージの攻略方法など、攻略本のような取説も作られるようになりました。
 当時はインターネットがまだ商用利用されておらず、ゲームの最新情報はおもに雑誌で入手するしかない時代。そのためパッケージに付属する取説は、プレイヤーにとって非常に重要な情報源だったのです。

—–キュービストと取説の関わり—–
 前回にも書きましたが、当社の設立スタッフはキュービスト創設以前から取説制作に関わっています。さかのぼること三十年ぐらい前になるのですが、某出版社でゲーム攻略本の編集にあたっていたスタッフが、某メーカーの依頼を受けて作ったのがきっかけです。
 攻略本に比べると判型も小さく、書く内容もかなり制約があるので、最初は攻略本ほどの面白味は感じられませんでしたが、何本も制作していると次第にその制約のなかでいろいろと工夫や遊びができることに快感を感じていくようになるから不思議なものです(笑)。
 今ではそれほど珍しいこともないですが、取説だけではとても情報が入らないからと、取説とは別にソフト同梱で攻略用冊子を作ったりしたこともありました。当時としてはなかなか画期的なことだったと思います。

DTPへの着手

 少し話は横道にそれますが、現在の紙の取説はDTPによって作られています。DTPとはデスクトップパブリッシングの略ですが、これはコンピュータによって行われる書籍などの編集・デザイン作業のことです。
 それ以前は手書きの原稿やアナログ写真のフィルム、イラストをレイアウト指定紙とともに印刷所に入稿し、印刷所でそれをまとめあげるという形で取説を作っていました。
 DTP用のソフトウェアが登場し、日本でもグラフィックデザイナーなどが使い始めるようになったのが1990年頃のことですが、当初はコンピュータでデザインやレイアウトを組むことはあっても、それをそのままデータとして入稿するところまではいきませんでした。フォントの問題やソフト自体の安定性など、まだまだ課題は多く、完全なDTPへ移行するにはまだしばらく時間がかかります。いわばDTPへの過渡期です。
 ゲームの取説においてDTPが一般的になるのは、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)のプレイステーションの登場がきっかけとなるのですが、それは次回にお話ししましょう。

■記事一覧:ゲーム取扱説明書の歴史
「ゲーム取扱説明書の歴史 第1回〜黎明期の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第2回〜ハード戦国時代の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第3回〜次世代機の時代の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第4回〜電子取説の時代〜」

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