ゲーム取扱説明書の歴史 第1回〜黎明期の取説〜

紙のお仕事,業界裏話
2018.02.06

 以前にアップした「わかりやすいゲーム取扱説明書の作り方〜年間100本以上を 作り出すスペシャリスト」という記事をご記憶でしょうか。
 その記事で、当社が紙の取扱説明書にかぎらず、今ではゲーム内に直接組み込まれたものやゲームの公式サイトに置かれたもの、あるいはスマートフォンのゲームアプリのヘルプなど、さまざまな形の電子版の説明書も作っていることをご説明しました。
 今回はそんな取扱説明書が、実際にどのような歴史をたどって進化していったのか、数回にわたってご紹介してみたいと思います。
 この原稿の筆者も当時の事情をすべて把握しているわけではありませんので詳細までは不明ですが、できるかぎり単なる歴史にとどまらず、当時の作り手の昔話なども織り交ぜて、つらつらと綴ってみましょう。

 なお、上記の記事と同様、“取扱説明書”は以下 “取説(トリセツ)”として表記していきます。ご了承ください。

取説誕生〜その歴史は家庭用テレビゲーム機とともに

 ゲーム取説の歴史はテレビゲームの歴史でもあります。さらにいうとゲームが進化することによって、ゲームが販売される形態が変わり、それにあわせて取説も変化していったという歴史があるのです。

 そもそも日本で最初の家庭用テレビゲーム機は1975年に発売されたエポック社の『テレビテニス』とされていますが、その後に発売された任天堂の『テレビゲーム15』もゲームはすべて内蔵式で、それ1台で何種類ものゲームが遊べるというものでした。
 ゲームのソフトがカートリッジ式となり、ゲーム機と別々に売られるようになって、初めて取説の存在がクローズアップされるようになります。

 その頃に登場したカートリッジ式の家庭用テレビゲーム機といえばエポック社の『カセットビジョン』、バンダイの『アルカディア』、セガの『SG-1000』などがありますが、ほぼ最後発でありながら一気に主役の座に躍り出たのが任天堂の『ファミリーコンピュータ』でした。

二色刷取説の時代

 1983年、ファミリーコンピュータ本体と同時に発売されたソフトに『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』がありますが、当時はゲーム会社がゲーム制作の傍らで取説を作るのが当たり前の時代。時間、コスト、ノウハウなどの制約から、非常にシンプルな作りになっています。
 印刷も黒と赤などをベースにした2色刷り。サイズもパッケージに合わせた10cm×5cm程度と小さなものでした。

※この時代の取扱説明書は「任天堂ホームページ」の「ニンテンドークラシックミニ」>「説明書」のページで見ることができます。

 ちなみに二色刷というのは、文字どおり2種類のインクを使って色を表現するのですが、普通は黒と赤、黒と青というように、黒をベースにすることが多くなります。これは文字の色はやはり黒の方が読みやすいだろうという判断なのですが、それをあえて緑と赤という組み合わせで使うこともありました。
 これは緑と赤を掛け合わせて黒に近い色を表現することで、擬似的に3色に見せることができるからです。また、それぞれに色の濃さは変えることができますから、やりようによってはけっこうカラフルに見せることができました。

 ただし、当時はDTPがない時代。実際にどんな色にあがってくるのか、モニターで逐一確認するということはできません。デザイナーさんが頭の中で出来上がりをイメージし、デザインレイアウトに色を指定するという作業を行い、それを印刷会社に入稿し、色校と呼ばれる見本があがってきて初めて確認できるという長い手順がありました。
 ときには思ったほどの効果が得られず、色校を見てがっかりということもありましたが、ここはまさしくデザイナーさんの腕の見せどころでした。

 この時代の取説は文章やイラストもかなりテイストが異なります。
 今でこそゲームは幅広い年代が遊ぶものになりましたが、当時の家庭用テレビゲームはまだまだ子供の玩具という見方が根強く、いきおい文章やイラストも低年齢層を意識したものになっていました。
 また、取説の重要度や取説に対する意識がまだ低いせいもあって、完成度が今のものに比べるとどうしても低くなるのは致し方ないところでしょう。パッケージと取説でイラストの絵が全然違うとか、文章が統一されていない、いかにもページを埋めるために作りましたというようなハイスコア記入欄などなど、実に自由気ままな取説が多くあります。

カラー取説の登場

 ファミリーコンピュータが発売されてから三年後の1986年。これまで二色刷が主流だったゲームの取説にいよいよフルカラーの取説が登場するようになります。
 印刷のフルカラーとは、CMYKという4つの色要素を組み合わせて表現するのですが、つまりインクも4色分が必要になり、印刷コストがよけいにかかるようになります。そこをあえて費用をかけて美麗な取説を作ろうということは、メーカーが取説の重要性を考えはじめたからに他なりません。
 そのフルカラーの取説の先駆けとなったのが、ファミリーコンピュータの追加仕様であるディスクシステムを発売した任天堂。そして、それまで紙製が主流だったゲームのパッケージに独自の縦長プラスチックケースを採用して「namcotブランド」をスタートしたナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)でした。

出版社の参入

 この時期には大きな動きがゲーム業界にありました。それはゲーム雑誌が本格的にスタートしたことです。その代表格が徳間書店エンターメディアが出版した『ファミリーコンピュータMagazine』通称「ファミマガ」です。
 それまでもゲームを扱う雑誌はないこともなかったのですが、ファミコンを専門に扱い、比較的良質な紙を使って大きな誌面でゲーム画面をきれいに見せるという雑誌はほぼ初めてでした。もちろんすぐに子供の人気を集め、ゲーム画面はカラーで見るのが当たり前という下地を作ったといえるでしょう。
 そういった流れを予測して、いち早くフルカラーの取説を作り始めたのが、任天堂とナムコだったのです。

 そして実はもうひとつ、取説に関連する大きな動きがありました。
 それは出版社や編集プロダクションが制作に参入し始めたことです。取説がフルカラーも含めてグレードアップするようになると、それまでゲームメーカーが自社内で作っていた取説を外部に委託するようになってきたのです。
 専門家に任せて品質を向上する、あるいは取説にかける時間もないほど忙しいという事情もあったかもしれません。メーカーによって事情はさまざまでしょうが、ともかく本作りのスペシャリストが参加することで、取説の品質は一気にあがっていくのです。
 ちなみにキュービストの創立スタッフはこの頃からすでに取説作りに関わっていますが、それは次回にでもお話しできればと思います。
—————————————

 さてゲーム取説の歴史、今回は誕生からファミリーコンピュータやディスクシステムが登場したあたりまでお話ししました。次回はスーパーファミコンやPCエンジン、メガドライブの時代の取説についてお送りする予定です。

■記事一覧:ゲーム取扱説明書の歴史
「ゲーム取扱説明書の歴史 第1回〜黎明期の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第2回〜ハード戦国時代の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第3回〜次世代機の時代の取説〜」
「ゲーム取扱説明書の歴史 第4回〜電子取説の時代〜」

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です